昨年12月から公開されている映画『つつんで、ひらいて』。2019年公開の映画『夜明け』でデビューした広瀬奈々子監督が、装幀家・菊地信義さんにカメラを向けたドキュメンタリーです。
過剰な説明を伴わず、ぽつりぽつりと清潔に伝えられる菊地さんの印象的な言葉。すでに本作をご覧になった方も多いだろうこの時期、そんな言葉を頼りに、この映画のこと、改めて監督に伺いました。映画を思い出しながら、お楽しみいただけたら幸いです。
『つつんで、ひらいて』インタビューvol. 2 感触によって文字と出会わせること
ーこちらの映画、菊地さんの言葉も印象的です。「言葉なんて人間なんて相手にしないから。言葉は物なんだ」とか。菊地さんと「物」との向き合い方についてはvol.1のインタビューでも伺いましたが。
あれはもう、とても私が説明することのできない非常に哲学的な言葉だなと思いました。菊地さんは飽くまで手作業を貫かれていますが、本当に言葉を触って、それを配置して、仕事しているんですよね。そのスタンス自体、やっぱり菊地さんは言葉を物として捉えているのかなと思います。
ー「言葉を触って、それを配置して」とおっしゃいましたが、まさに「手仕事」ですね。スクリーンから、紙の手触りや匂いまで伝わってくるようでした。菊地さんが紙をくしゃくしゃにして、文字をコピーしながら、風合いを出す場面の根気にも圧倒されました。
冷静に観ると、だいぶ変な人に見えるんじゃないかというシーンですが(笑)。すごく真剣にやっていらっしゃいましたね。向き合い方が本当にひとつひとつ本気なんです。
ー菊地さんの求めていらっしゃるイメージが、あるのかなと思いました。紙をくしゃくしゃにして出していた「酒」という字のかすれ具合だとか。
それも本当にパソコンでは出せないところなんだと思うんです。もちろんイメージに近づけるというのもあるのでしょうけれど、偶然生まれるものとの出会いを常に求めていらっしゃって。例えば、鉛筆で書いて、消しゴムで消したりすると、消しゴムのカスがたまたま置かれた配置から、新しいひらめきが生まれたりするんだと。そういうことをよくおっしゃっていて。手作業だと、パソコンを意識的にコントロールするのではできないものが生み出されるんだと思うんです。
ー「イエス伝」の文字を方眼紙のうえで斜めに配置する場面も、精巧でジーンとしました。
そうですね。やっぱり物と対峙するという姿勢ですよね。その感触を自分なりに感じ取って、言葉と出会うことによって、読み手の思考を形成する何かひとつの要素につながってくるんだろうなと思います。菊地さんは、感触によって言葉と出会わせたいんだと思うんですよ。そういう装幀を菊地さんは常に目指していますよね。
ー3年間カメラを回されたということでしたが、どんなペースだったのですか?
基本的には、ひと月に1遍とか、ふた月に1遍とかお電話して、「最近どうされていますか?」「どういうお仕事がこれから来そうですか?」というお話を伺って。それで数日「撮らせてください」という時もあれば、こちらの近況をお話するだけで「じゃあ、しばらく経ったらお電話します」とか。そういう距離感ですね。
ー往復書簡みたいですね。そのつかず離れずの緊張感は、映画にも出ている気がしました。
菊地さん、電話を切るのが早いんです。次々に仕事をして、とにかく前のめりに新しいことに向かう方なので。要件が終わったと思うと、まだ話が終わっていないのに切られてしまうので、ものすごく急いで、こちらの話したいことをお伝えしていました(笑)。
ー時間がとにかく足りないんでしょうね。やりたいことがたくさんおありで。
本当にそうですね。かといって、夜遅くまで、ずっと仕事されているわけではないんです。装幀のアイディアを考えることは、ずっと続けているんだと思いますけど。午後5~6時には一切切り上げて、家に帰られて。次の日になったら、きちんと日々のルーティンをされて。サラリーマンのように毎日、規則正しいルーティンなんですよ。
―仕事の美学、この映画からも伝わってきました。
同じ時間に起きて、同じ時間の電車に乗り、同じ車両の同じ席に座って、毎日、黒ずくめの服を着て、「樹の花」(銀座の喫茶店)でフレンチ・コーヒーを2杯飲み、それから仕事を始める。本当に規則正しく、同じことをずっと繰り返しているんです。それも含めて多分、菊地信義の美学、作家性なんだと思うんですけどね。毎日そうやって、まっさらな状態にして、ひとつの本と向き合うんです。自分の体調もきちんと整えているらしいんですよ。
ー「まっさら」「からっぽ」も、この映画を拝見していて、印象的な言葉でした。体調を整えていらっしゃると。あれだけお忙しいと、体調を崩したら止まってしまいますものね。
装幀っていうのは、本当にそういう仕事なんだなという気がしますね。講談社文芸文庫とかNHKのテキストとか、毎月決まっているお仕事も平行していらっしゃるので、体調が悪いとか、やる気が起きないとかでは成り立たない。菊地さんのスタイルというのは、装幀者たるもの、こうあるべきというものをすごく感じさせるというか。装幀がもともと持っている本質と合っているような気がします。
ー装幀の本質。作品の中で、装幀は受注仕事というお話がありました。監督から「受注仕事の創造性」を問われた時に、「もともとあるのではなく、人から依頼されるから出てくるんだ。人生もそうなんだ」と。
あの言葉に私はすごく救われて。人間ってそもそもが関係性の中でできているんだ、何でもそうなんだと。ちょうどオリジナルの映画を作ってデビューしなきゃと焦っていた時期だったので、すごく救われたんですよね。
ー劇映画のデビュー作『夜明け』前のお話ですね。
どんなものであれ創造性って自分の中から出てくるものではなくて、人との関係性の中から生まれてくるものなんだと。どこかでわかっていたことではありますけど、自分から無理矢理出す必要はない。ものをつくるってそうじゃないんだって割り切った方が、生きることに直結するというか、もっと豊かになるんだなと。菊地さんは「自分は空っぽだ」という言い方をしていますけど、敢えて、そういう風に言い聞かせているような気もするんですね。そういう風にあろうとしないと、世界にあるものを受け止めきれないんだと思うんです。あれだけ、たくさんのものを作ってこられて極めた方にきっぱりと言われたことで、すごく頭を打たれた気がしました。
ー最後に、「こしらえるというのが、デザインだ」。この映画に寄り添うような言葉ですね。
あれも多分、きっと菊地さんは(撮影中)どこかで言ってやろうと思っていたんじゃないかなと(笑)。こしらえるっていうのは、何度も言っていた言葉ではあるんです。『雨の裾』の解説をしてもらうところでも。ずっと同じことを言っているんですけどね。毎回響き方が違うのがすごく不思議だなと思います。こしらえる、そうですね。人のために作るっていう……。
ー相手があってのことなんだと。
素敵な言葉ですよね。なかなか普段使わないですけど。菊地さんは、日本語をやっぱり大事にしていますよね。外来語を使わず、敢えて普段使わないような江戸弁も遣いながら、それにどういう意味があるかを常に考えているから、ああいう言葉が出てくるんだなと思います。日本語じゃないと生まれない装幀家だと思います、漢字があり、ひらがながあり、カタカナがあり。表音文字と表意文字の両方があるからこそ、菊地信義が誕生したんだろうなという気がなんとなくしています。
ーアルファベットだと、ああいう風には流せないですもんね。
そうですね。『雨の裾』の「雨」も、中の点が水になっているフォントを見つけて、ものすごく喜んでいましたから(笑)。文字の意味と印象の両方が大事だったんだと思います。雨という言葉もあるけれど、その中に水も隠れているということが、あの本にとって大事だったんだと思います。それは本当に日本語じゃないとできないことですよね。
ー映画の中で、菊地さんの言葉がたくさん響いて、どんな撮影の中でこんなに……と思っていたら、むしろ監督にとっては「削っていく作業」だったというのが意外で面白かったです(詳しくはvol.1をご覧ください)。
ありがたいことですが、情報量が多すぎました(笑)。いいお話をたくさんしてくださったので、とにかく削っていく作業でしたね。菊地さんの言葉を観客に鵜呑みにさせない。受け身にさせない、ということが目的でもあった。菊地さんからは「君の映画には、寡黙さに意味があるんだ。観客は観たら、考えるだろう」という、すばらしい言葉をいただきました。初めて自分がやろうとしたことを言語化してもらえて、うれしかったです。
この映画を観ていて印象に残ったのが、手仕事の手触りと、広瀬監督と菊地さんの距離感。ドキュメンタリー映画には、作り手の持つ「人との距離感」が表れやすい気がするのですが、つかず離れず、いい緊張感を保っているこの映画の清潔感は、新人監督にして装幀の大家の菊地さんに清々しく向き合う、広瀬監督がもともとお持ちの距離感なんだろうなと思います。
『夜明け』から約1年。昨年の雑感を監督に伺うと、「駆け抜けていった感じで、めまぐるしかったです。ちょっと落ち着いて、これから何をこしらえるべきか、ちょっと考えたいです」。
何をこしらえるのか、楽しみにしたいと思います。
(取材・文:多賀谷浩子)
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公式サイト:https://www.magichour.co.jp/tsutsunde/
※ほぼ1年前、『夜明け』の広瀬監督のインタビューはこちら。