#712 『つつんで、ひらいて』広瀬奈々子監督インタビューvol.1

ネットで簡単に本が手に入る時代になりましたが、なんとなく本屋さんを見て回って、装幀に惹かれた本を買って帰るのが好きな人、今も多いのではないでしょうか。

見知らぬ本の持ち味が、ほんの一瞬の印象だけで、ちゃんと読み手に届く。そのことに敬意と愛着が止まらないのですが、公開中の映画『つつんで、ひらいて』はそんな「装幀」の仕事に光を当てた映画。装幀者・菊地信義さんを追ったドキュメンタリーです。

手掛けたのは、ほぼ1年前にデビュー作『夜明け』が公開された広瀬奈々子監督。お話を伺ってきたので、何回かに分けて、お届けしたいと思います。余白の美しさに心がすっとする、新たな年を迎えるこの時期にも似合いの作品。ぜひ映画をご覧になって、お読みください。

カメラを向ける人 と  向けられる人 の気になる関係

ー作品のはじまりを伺えますか?

実は『夜明け』より前に撮り始めていて、この作品を先に公開するつもりだったんです。結果として、3年間撮影しました。菊地さんのことは前から存じ上げていて。というのも、私の父が装幀家で、11年前、私が20歳の時に亡くなったんです。その後、是枝(裕和)さんのところで3年間監督助手をやり、自分の作品の脚本をなかなか書けずにいた頃、改めて「装幀ってどういう仕事だったのかな」と考え始めて、菊地さんに興味を持ったんです。

ー菊地信義さんにカメラを向けられたのは?

実家にあった『装幀談義』(筑摩書房)を読んで、アーティストというより裏方であろうとする職人的な姿勢に非常に惹かれて。お会いしてみたいなとアプローチしました。

ー最初にお会いした頃のシーンは、どのあたりなんですか?

『雨の裾』(古井由吉著)が出来上ったあたりで、菊地さんに初めてカメラを回しました。

ー出来上った本を見せながら、「これが雨の裾なんですよ」とおっしゃっている場面ですね(雨の「裾」を、表紙のグラデーションで表しているのです)。

そうです。この映画は『雨の裾』で始まって、『楽天の日々』で終わります。(ずっと菊池さんが装幀を手掛けてきた小説家の)古井由吉さんで始まり、古井さんで終わるんです。

 

 

ー最初にお会いした時の印象は?

最初は緊張して、おしゃべりした記憶もほとんどないです。「僕は映像が嫌いなんだ」と言われて、ああもうこれはダメだと思いました(笑)。

ーまさかのはじまりです。

でも、撮影が始まったら、ちょっとした質問に対しても10返ってくるような方で、けっこう饒舌というか……一旦話し出すと止まらないんです(笑)。一方でチャーミングな一面もあったり、そういう人だとは思いませんでした。勝手に寡黙なドシッとした方だと想像していたので。

ーカメラを回し始めて、どのぐらいの時期から、そういう素顔が?

『雨の裾』の解説が始まった時に、これはヤバイと思いました(笑)。ずっと話し続けていて、情報収集が追いつかない、体がもたない、このままでは呑まれてしまうと思ったのが、最初のシーンでした(笑)。指定された日に事務所に伺ったら、段ボールが用意されていて、中から『雨の裾』が出てきて、それを並べ始めて、「ここはね……」と解説が始まり、延々2時間喋りっぱなしでした。

ー……2時間(笑)。

洗礼を受けたあと、菊地さんも「もういいかな、そろそろ解放してくれないか」とおっしゃって。こっちも……はぁ、みたいな感じで、もうヘロヘロになって。強烈な初日でした(笑)。

ー映画の中の『雨の裾』の場面は、2時間のうちの一瞬なんですね。

そうです。次は私に説明しようとせず、できるだけお仕事に集中してくださいと言いました。聞きたいことがあったら、こちらから聞きますと。とにかく私は菊地さんの手と紙を撮りたいんですと伝えました。

ー手と紙を撮りたい。素敵な言葉ですね。

まずはそれを言い続けました。日々、闘いです。饒舌な菊地信義をどう抑制するか。菊地さん、装幀のことを聞かれると、言葉が溢れ出てくるんです。本というもの、言葉というものが、どれだけ大切なものか。それを伝えなければという使命にかられるんだと思うんですね。その熱量が半端じゃなくて、私はそれを受け止めるだけでなく、別の角度から切り込んでいく必要があると感じました。ひとつの質問をしただけで、人生観や生きるというところの答えまで行き着きそうな……毎回大講義なんです。

ー映画の中に、菊地さんが骨董市で器と向き合っているシーンがありましたが、向き合い方が熱いですよね。一瞬に、ぎゅっとエネルギーが凝縮されている感じがします。

その熱量が、装幀の仕事をしている時の熱量と変わらないというか。とにかく物が好きなんだろうなと。物と出会えた時の歓びは、きっと本を作っている時と変わらないと思いますね。

ー一瞬一瞬が本気なんですね。古いレコードの再生機を直す視線や、ご自宅でコーヒーを淹れる真剣さにもそれを感じました。

そうですね。あれは多分撮ってほしかったんだと思います(笑)。カメラの前で、ちゃんとかっこつけるんですよ。生活そのものに美学を持っている方なんですよね。この頃には、素と装いをバランスよく撮れる関係性にはなってきていました。

 

 

ー菊地さんと物との関係、それは言葉の話にもつながっていくので、後ほど伺いますが、この映画には、菊地さんと人との関係(ずっと装幀を手掛けてきた作家との関係や、装幀家のお弟子さんとの関係など)も印象に残ります。

菊地さんの「すべては関係性の中でできている」という言葉に集約されていると思います。面白いことをやっている若い装幀家や作家の方がいたら、めざとく見つけて刺激をもらいくにいく。そういうことに非常に敏感だし、年齢・キャリアを問わず、常に自分のものにしようとする方だと思いますね。それはこの映画に対しても、そうだと思います。ご自身のキャリアを振り返ったり、自分がどんなところを意識しながら装幀の仕事をしているか、改めて見直す機会にしようと思って撮影を受けてくださったのではないかと。何より、装幀というものを世の中に広めていくうえで、この映画を活用されているように感じます。撮る側と撮られる側のずれや、距離を埋める苦労は当然ありましたが、紙の本のためという思いは一致していました。

ー菊地さん、「撮られる」という受身じゃないんですね。ご自身も伝えたいことがあって撮られているという。カメラを向ける広瀬監督と向けられる菊地さんの関係が面白いです。

そうですね。私が菊地さんを撮りたくてアプローチしたのに、待ち構えられていたかのような(笑)。逆転現象が起きている気がして、コワイんですけど(笑)。

カメラを向ける監督と、向けられる菊地さんの、敬意に基づいた気持ちのよい緊張感は、この映画のすんと澄んだ空気にも表れている気がします。インタビューの続きは、新年にお届けします。どうぞお楽しみに!

(取材・文:多賀谷浩子)

公開中。

公式サイト:https://www.magichour.co.jp/tsutsunde/

※ほぼ1年前、『夜明け』の広瀬監督のインタビューはこちら。

https://journal.rikunabi.com/p/career/29368.html