今年も10月23日から11月1日まで、日比谷・有楽町界隈の映画館やホールを会場に、第36回東京国際映画祭が開催されました。
有楽町駅前と日比谷ミッドタウンに今年の上映作品が並んだパネルが置かれ、駅前に映画祭のムードが漂う感じは、以前、渋谷でこの映画祭が開催されていた頃を思い出させます。
日比谷ミッドタウンの広場に設置されていた野外スクリーンでは連日、大勢のお客さんが映画を楽しむ姿が見られました。
オープニング作品『PERFECT DAYS』を監督し、コンペティションの審査員を務めたヴィム・ヴェンダースをはじめ、さまざまなゲストが東京を訪れ、数々の上映やイベントが行われた10日間。日を追って、その模様を振り返ってみたいと思います。
10月24日
前日のレッドカーペットを経て、この日から映画祭本番。日比谷にあるガラス張りのカフェでは、トラン・アン・ユン監督をゲストに迎えた「交流ラウンジ」のマスタークラスが開催されました。道行く人々がガラス越しに中を見つめ、早くも映画祭らしい華やいだ雰囲気に。熱気のあるトークが繰り広げられました。
新作『ポトフ 美食家と料理人』が、日本での公開に先駆け、「ガラ・セレクション」部門で上映されたトラン・アン・ユン監督。トークは、こちらの作品のことから始まりました。
「料理はアート。いつか食の映画を撮りたかった」という監督。「画家の製作過程は映画で描けないけれど、料理はその工程が見せられますよね」。
そんな言葉どおり、こちらの映画、冒頭の料理シーンが魅力的です。長回しで臨場感たっぷりに画面に収められた、料理人と食材の行き交う生命力。匂いや湯気まで伝わってきそうなのです。
「料理をいかにも美しく撮ることは、やめようと思いました。料理人の体や手の動き、食材が少しずつ姿を変えていく様子をカメラに収めたかったのです。冒頭の長回しのシーンは大変でした。料理人は予想のつかない動きをしますから。カメラの動き、俳優の動きを考え、まるで振付のようでしたね」
『ポトフ』の主演は、ジュリエット・ビノシュとブノワ・マジメル。私生活で夫婦だった時期もある二人を主演に据え、監督が描きたかった素敵な関係性とは? そして本番で監督が驚かされた名優二人の演技とは――? 『ポトフ』の撮影秘話はさらに続きます。
そして話は、作品の題材をどう選んでいるのか、やトラン・アン・ユン作品に欠かせない奥様の存在など、監督自身の貴重なお話へ。その模様は、映画祭の公式YouTubeでこちらから、ご覧いただけます。
10月25日
25日に開催されたのはケリング主催の「ウーマン・イン・モーション」。映画をはじめ、文化・芸術に携わる女性に光を当てることを目的に2015年に発足したプログラムです。
東京国際映画祭で行われるのは今年で3回目。前回のゲストである是枝裕和監督の推薦により、韓国からペ・ドゥナさんがゲストに招かれ、日本からは水川あさみさん、WOWOWのチーフ・プロデューサーの鷲尾賀代さんが参加し、3人のトークが繰り広げられました。
オープニングでは是枝裕和監督のご挨拶が。「ここ3年ほど、東京国際映画祭に『交流ラウンジ』の検討委員会という形で、片足だけ参加しております。このような形で、公式プログラムの一貫として、映画の現場で活躍する女性たちのトークや、そこで何が課題になっているのかをあぶり出していくイベントが開催されているということは、僕はとても進歩だなと思っております」
その後、3人を招いてのトークへ。こちらのイベントは映画祭のYouTubeに動画が掲載されていないので、少し長めにお届けしたいと思います。
まず面白かったのは、本題に入る前に聞かれたペ・ドゥナさんのお話。映画『リンダ・リンダ・リンダ』で初めて日本の撮影現場を体験した時に感じたという、韓国と日本の撮影の違いについてです。
「韓国の撮影現場はお昼過ぎから始まることが多いのですが、『リンダ~』のスケジュールをいただいたら、朝9時と書いてあって、まずそれに驚きました。現場に行ったら、もっと早くから撮っているシーンもあって、日本の撮影は朝が早いんだなと思いました。
あと、韓国だとモニターがあちこちにあって、今、撮影したばかりの映像をスタッフもキャストも、いろいろな人がモニターでチェックできるんです。でも、日本だと監督のところにあるだけだったので、最初、何も知らない私が『モニターを見たい』と言ったら、スタッフの人たちが『え?モニター!?』って(笑)」
朝が早いのは、撮影日数が限られていることから、1日で撮影する量を増やさざるを得ないという、制作費にも関わる問題。日本では1ヶ月半ぐらいで取り上げる映画も少なくありませんが、韓国での撮影期間について問われると「私が関わった映画では大体4ヶ月以上、半年かけることもありました」とペ・ドゥナさん。
他にも撮影中、大勢でわいわいお昼ごはんを食べる韓国と、昼休憩が個人の休み時間になっている日本の違いなど、新鮮なエピソードを披露してくれました。
そしてトークは肝心の、女性の働く現場としての映画業界に移っていきます。日本の現状を聞かれた水川さんは
「撮影現場で、女性のスタッフが増えてきて、力仕事をする技術スタッフやチーフと呼ばれる(責任ある立場の)スタッフにも、そういう印象があります。でも、女性が子どもを産んで働くとなると、まだまだ仕事とのバランスが難しいところがあるのを感じます」
水川さんは、この秋ちょうど釜山映画祭に参加したばかり。映画上映後のQ&Aでは現地のお客さんから聞かれる質問の深さに衝撃を受け、映画の受け止め方の違いを感じたといいます。
「これは映画に携わりたい俳優のひとりとして、これからの課題だなと思いながら、スンドゥブを食べて帰ってきました」と真剣なお話に照れたのか、笑いでトークを締め、隣りのペ・ドゥナさんと笑い合う場面も。
一方、ぺ・ドゥナさんは韓国の映画界での女性の現状について聞かれ、
「私がデビューした25年前よりはずっとよくなっていると思います。私が初めて女性の監督とお仕事したのは『子猫をお願い』のチョン・ジェウン監督でした。2000年代の初頭でしたが、当時はとても女性監督が珍しかったです。
女性のスタッフもいましたけれど、私が感じたのは、末っ子のポジションだとかわいがられるのですが、女性が監督になると、男性監督では起きなかったような摩擦が起きてしまうんです。そこに疑問を感じていました。今は本当にそういうことがなくなりましたね。ここ数年、チョン・ジュリ監督と『私の少女』『あしたの少女』と2本の作品を撮りましたが、女性スタッフも多かったです」
そして、WOWOWのプロデューサーとして国際共同制作も手掛け、米ハリウッド・リポーター誌の「国際的なテレビ業界で最もパワフルな女性35人」にも選出された鷲尾賀代さんは、アメリカで起用される俳優の年齢について聞かれると、
「#MeTooの前は『40歳を過ぎると、女優が主役の映画やドラマがほぼなくなる』というのはよく言われていたことです。そういう現状に対し、リース・ウィザースプーンという女優さんは『ならば、自分で作る』ということで、ご自分で製作会社を作られて、女性が主人公のいい脚本や企画を探して、監督や脚本家、各部署(撮影部、照明部など)のヘッドをすべて女性にして、オスカーにノミネートされる作品を撮られたりしています。MeToo以降は少し変わってきていると思います」
そのMeTooについて意見を求められると、
「そのまっただ中にアメリカにいまして、それまで白人の男性が雇われていたポジションに、必ずマイノリティか女性を起用するという声が上がったんです。私の考えとしては、実力のある人を雇って、それがたまたま全員白人の男性でもマイノリティの女性でもいいんじゃないかと思っていたのですが、アメリカの方に言われてハッとしたのは、今まで白人の男性ばかりが起用されてきたポジションなんだと。だから、まだマイノリティや女性の人たちはスタートラインにも立っていない。白人の男性が経験を積んで、今現在の地位を築いているのだから、いきなり、そこと比べるのは不公平だというんですね。だから今は同じだけ機会を与えるために、意図的にマイノリティや女性を起用していて、そのあとに平等に実力で比べられる時代が来るんだと言われて、ハッとして。すごく納得できたんです。ドラスティックに短期間で業界がガラっと変わりましたし、そういう変化を恐れないアメリカの底力を知った気がします」
変わるのが苦手な日本も変わっていかないといけないと鷲尾さん。彼女が語る『リトル・マーメイド』の例も興味深いお話。
「『リトル・マーメイド』の実写映画を観たら、七つの大海のマーメイドが様々な人種で描かれていて、最後のお祝いするシーンでは驚くほど多種多様なマーメイドの人種が描かれて、男性・女性・LGBT、それが明らかにわかるように描かれている。そこまで描かなければダメなのかと少し違和感を覚えましたが、それは私が幼い頃から白人のマーメイドを見てきたからだと思うんです。
今、幼い子どもたちはこの映画を観て、様々な人種のマーメイドを自然に受け止めながら、それが常識として育つわけですよね。だから彼らが大きくなった頃にはもうちょっと世の中が変わるだろうし、映像を作る側にはそういった責任があると思うんです。
例えば、幼稚園のお迎えシーンにはお母さんが多いイメージがありますが、迎えに来ているのが全員お父さんで、それを違和感なく見られるドラマだとか、大企業の経営陣の会議シーンというと、今はスーツを着た60歳代の男性がほとんどですが、男女半々を描くとか、そういうイメージを観ている人たちに徐々に持ってもらう、そういうふうにやっていかないといけないのだと思います」
その後、自身の出演作『私の少女』について聞かれたペ・ドゥナさんからも興味深いお話が。
「韓国の映画には、どうしてこんなに男性の映画が多いのだろうとよく思っていたんです。女性だけが出ている作品はとても少ないんですね。キャストの中で女性が一人という作品も多いですし。男性の俳優はいろいろな作品の現場に行くから、会う機会も多くて、友達になったりするのに、女性どうしが会う機会は少ない。それはもしかすると、男性俳優が多く出ている作品の興行収入が高いからなのかなとか、いろいろ考えます。ならば、女優のたくさん出る映画を作ってほしいと訴えるよりも、いい映画、面白い映画を作ることだと思うんです。魅力的な女性キャラクターを描くのは、女性の監督や脚本家の方が得意じゃないかと思いますし、それで面白い映画ができれば、観客は観にくるはず。今より対等に女性映画人が活躍していけると思います」
近年、話題になることも多い、映画界のパワハラについての話も。昨年、短編映画で監督の立場を経験した水川さん。その時の経験について聞かれると、
「私が関わったプロジェクトは、たくさんの方が監督をやって、それぞれの短編を撮るプロジェクトでしたが、私が初めてということで、集まってくれたスタッフの皆さんが『(これが)やりたいです』と私が思いつきで言ったことにも一生懸命動いてくださったんです。初めてだからこそ、それが成立するのだと思いましたし、そういうことが、もし長編を撮るとなったら、(少しずつ積もっていくと)もしかしたら一定の人を振り回してしまうこともあるのかもしれないなと。監督の立場になって、わかったことがたくさんありました」
貴重な体験談。パワハラの怖いところのひとつは、必ずしも当事者に自覚があるわけではないこと。常識の違いで、気づかぬうちにそうなってしまう怖さは、まず「意識」することから、なのでしょう。是枝監督をはじめとする有志の監督で作られている「製作現場のハラスメント防止ハンドブック」がイベント終了後に配布され、変わるべき現状をクリアにする1時間でした。
10月26日
お昼過ぎに丸の内TOEIにて、ヴィム・ヴェンダースが田中泯さんの踊りを映画で「再構築」した短編『Somebody Comes into the Light』の舞台挨拶。
兼ねてから親交のあったピナ・バウシュを撮った『pina ピナ・バウシュ 踊りつづけるいのち』など、これまでもダンサーにカメラを向けているヴィム・ヴェンダース監督。『pina』でもその曲が使われている作曲家の三宅純さんの音楽にのせ、田中泯さんの踊りが詩的かつ刺激的にスクリーン上に構成されます。
こちらの作品は東京国際映画祭がワールドプレミア。会場に集まった大勢の人たちが、泯さんの静かながら力強い「奇跡としか思えない」という言葉と、そのうれしそうな表情に惹きつけられました。
もともと撮影する予定はなかったという本作。「ヴェンダース監督と『PERFECT DAYS』の撮影をした最終日に、『スタジオも準備しているから踊ってくれないか』と言われ、結構長い時間、踊ったんです。それが映画の中に収まらず、こういう短編という形になりました。僕にとっては奇跡としか思えない出来事で、未だに自分を疑っているような状況です」と泯さん。
『pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』でもヴェンダース監督と組んでいる音楽家の三宅純さんは、
「『PERFECT DAYS』の準備期間に何度かヴェンダースさんとお会いする機会があり、この映画に何か関われたらいいなと思っていたのですが、この映画の音楽はすべて(すでにある曲の)選曲ということになりまして。そうしたら、思ってもいない泯さんにスポットを当てたこの作品で、ヴェンダースさんから『何かやってみてくれないか』と。結局、過去の私のアルバムから選曲していただいて、リミックスしてレコーディングしなおして使っていただいています」
そもそも、この作品の起こりについて、『PERFECT DAYS』のプロデューサーでもある高崎卓馬さんは、
「『PERFECT DAYS』のシナリオの打ち合わせをベルリンでヴェンダース監督とやっている時に、ホームレスの男が出てくるのですが、泯さんにお願いしてみようと。ヴェンダース監督は泯さんを非常にリスペクトしているので、受けてくれるだろうかという感じでオファーしたのですが、二つ返事で受けてくれて、まさかそんなことが!という感じでした。
『PERFECT DAYS』の撮影最終日、映画の魂のようなシーンを泯さんと撮影したのですが、それがあまりにも強烈で、どうしても映画に収まりきれなくて。カンヌで役所広司さんが受賞した授賞式の帰りに一緒に歩きながら、ヴェンダース監督が泯さんの撮影した映像を使って、ひとつ作品を作りたいんだとおっしゃった。それが、この作品なんです」
関わったキャストやスタッフの起用しきれなかった部分を、こうして別の形でフォローするヴェンダース監督。素敵なエピソードです。このあと聞かれた三宅さんのヴェンダース夫妻とのエピソードも素敵です。泯さんの踊りと映像の話も興味深い。公式YouTubeのこちらでお楽しみください。
同じく26日。夕方から開催されたのは、アジア各国の映画学校の学生を招いての是枝裕和監督のマスタークラス。最初に流れたのは是枝監督がテレビでドキュメンタリーを撮っていた頃、1993年の番組『映画が時代を映す時―侯孝賢とエドワード・ヤン』の冒頭部分。
ホウ・シャオシェン監督とエドワード・ヤン監督。スタイルの異なる二人の映画監督にカメラを向けたこちらのドキュメンタリーは、映像の製作会社に入社した是枝監督が、自分で番組を企画する面白さを知り、「テレビも悪くないな」と思いはじめていた頃の作品なのだそう。
「このままテレビの世界で行くのかな。それも悪くないな」
そう思っていた頃、こちらのドキュメンタリーを撮ることになり、もともと希望していた映画監督の道へと、ぐっと引き戻された作品なのだそうです。この日のトークでは是枝監督のお父さまと台湾のつながりも語られ、なんだか運命的です。
これまでの「交流ラウンジ」のトークでも、ホウ・シャオシェン監督と映画の根っこでつながっているのを感じさせてきた是枝監督ですが、ホウ・シャオシェン監督にまつわる今回のお話は、映画を志す多くの学生たちに、なぜ映画を撮るのか、監督としてのルーツを思わせるお話で、途中、デビュー作の絵コンテも公開され、会場中が熱心に聞き入っていました。
ホウ監督といえば、今年、引退のニュースが流れましたが、『恋々風塵』の撮影が行われた列車の線路で、ホウ監督とホウ監督が長年組んできたカメラマンのリー・ピンビンと撮った3ショットを見せながら、是枝監督がされていたお話がまた切なく、
「これは3年前なんだけど、この時にホウ監督が何気なく『あの建物の窓からス-・チーが顔を出していて、それを下からチャン・チェンが見つめていて』ってリー・ピンビンさんに(これまでの撮影でやってきたように)指示を出しはじめるんです」
きっと映画を撮りたい気持ちが、今もホウ監督の中に根付いていて、本能的に動いてしまうのだろうな……と思わせるエピソードが切なく、胸を締め付けられました。
当日の模様は、こちらからご覧いただけます。
他にも、小津安二郎120周年を記念したシンポジウム「SHOULDERS OF GIANTS」が開催されたり、トニー・レオンが来日し、往年のファンが客席を埋めるなど、映画祭の雰囲気が年々戻ってきているのを感じた今年の東京国際映画祭。その中でも印象的だったのがコンペティション部門『雪豹』の上映。
10月29日の夜、有楽町駅から歩いてすぐの映画館、丸の内TOEIの上映では、Q&A終了後も映画館の外に観客が集まり、来日した3人の俳優、ジンバさん、ション・ズーチーさん、ツェテン・タシさんを囲み、興奮冷めやらぬ雰囲気。
こちらは長年、東京フィルメックスでも上映されてきたチベットのペマ・ツェテン監督の遺作の1本となった作品で、審査員長のヴェンダース監督も「満場一致」だったと報告。今年のコンペの最優秀作品賞を受賞しました。
純粋な目をした僧侶と雪豹の交流が胸に残るこちらの作品は、ファンタジーの部分もありながら、それを上回るエネルギーを感じさせる作品。今年惜しまれながら急逝したペマ・ツェテン監督に、キャスト3人から感謝の言葉が溢れました。そのスピーチも収められているクロージング・セレモニーの様子はこちら。
セレモニー終了後に行われた受賞者会見では、イラン映画『マリア』の編集のエルナズ・エバドラヒさんが『雪豹』のキャストのお三方にペマ・ツェテン監督への哀悼の意を伝え、会場をジーンとさせる場面も。
今年の受賞作は、イランとイスラエルの監督が共同で監督を務めた『タタミ』も印象的。デビュー作とは思えない中国のガオ・ポン監督の『ロングショット』も配給が期待されます。
審査員会見では「この審査員チームで今後もいろいろな映画祭を回りたくなった」という言葉が口々に聞かれるほど、打ち解けた様子が伝わってきました。ヴェンダース監督が会見の最後にチームに語った“Imiss you guys”の一言も印象的でした。
(文:多賀谷浩子)