たくさんのお客さんが有楽町朝日ホールをはじめ、会場である映画館の客席を埋め、フィルメックスを楽しみにしている方の多さを改めて感じた今年。
中でも印象的な作品のひとつが、審査員特別賞と観客賞を受賞した『冬眠さえできれば』。今回は、こちらの映画のインタビューをお届けしたいと思います。
この映画を手懸けたのは、ソルジャルガル・プレブダシ監督。もともと来日予定でしたが、10日前に出産したばかりということで、上映前にモンゴルからビデオ・メッセージが寄せられました。
留学経験もあるプレブダシ監督。流暢な日本語のメッセージから、この映画を撮りたいと思った監督の思いがストレートに伝わってきます。
「この映画は、ウランバートルのゲル地区(郊外のゲルが並ぶ地域)で育った15歳の男の子が主人公です。彼は物理のコンクールで金メダルをとりたいと思っています。
私も一緒でした。金メダルをとって、私立の高校に入りました。そこでアートと出会い、映画監督になりたいと思いました。
それで朝日の奨学金をもらって、桜美林大学の映画芸術専攻で勉強しました。2012年に卒業して、モンゴルに帰りました。
教育を受けることは当たり前だと思っていたけれど、モンゴルのゲル地区(貧困層が多く暮らす)に帰って、それは当たり前ではないと改めて思いました。
そのことをいつか映画にしたいと思っていて、フィルメックスでお金をもらって(タレンツ・トーキョーで、この映画のプロットがグランプリを獲得)、これが初めての長編映画です」
会場に来られなかった監督に代わって来日したのが、プロデューサーのバトヒシグさんと、映画の中で主人公のお母さんを演じたガンチメグさん。
こちらの映画、カンヌ映画祭のある視点部門で上映されたこともそうですが、その撮影現場もモンゴルの映画業界の中で画期的だったそうです。日本でも映画業界の働き方が問題になっていますが、そんなお話もお聞きしました。
バトヒシグさんは20年ほど、NHKを中心に日本のドキュメンタリー番組のコーディネーターをしていたそう。ガンチメグさんも若い頃に日本語を勉強していたそうで、通訳のボロルマーさん(彼女もNHKの番組のコーディネーターをしていたそうです)を介しながら、日本語とモンゴル語の飛び交うインタビューになりました。
モンゴルの一端を映し出す、少年と家族の物語
監督のビデオ・メッセーにもありましたが、この映画の主人公は15歳のウルジー。彼には幼い弟がふたり、妹がひとりいます。
映画が始まると、スクリーンに映し出されるのは、そんな子どもたちとお母さんがゲル(モンゴルの移動式住居)の中で暮している場面。息遣いが伝わるほど、近い距離で子どもたちをいとおしく映し出します。
ウルジーの家族にはお父さんがいません。働き手はお母さんなのですが、お母さんもアルコールに溺れてしまっている。幼い弟や妹を抱え、このお家の命運は、まだ15歳のウルジーにかかっているのです。
彼には物理の天才的な才能があって、先生は物理コンクールへの参加を勧めます。喜ぶウルジー。けれど、家族のためにお金を稼がなければならないウルジーは、違法のアルバイトに手を出すしかなく、学校に行くことができません。何も知らない先生は、授業に来ない彼を怒るのですが--。
貧富の差が問題になって久しいモンゴル。貧困層の子どもたちが直面する問題を、15歳の少年の視点から、生の質感でやわらかに描きます。ウルジーをはじめ、子どもたちが本当に自然。いきいきと魅力的なのです。
そんなキャスティングについて、バトヒシグさんは、
「200人の子どもたちの中からオーディションで選びました。最初は広告の募集で、自分の好きなものを語った動画を送ってもらったんです。
監督と第1ディレクター(日本で云うチーフ助監督)が選んだのですが、ウルジー役の男の子のこと、私はそんなにいいと思っていなかったんですよ。でも、監督がとにかく「この子です」って。映画を観て、私も彼でよかったと納得しました。
次男の子は「マジック・モンゴル」という民間が作った、貧困層の子どもたちが学校以外に行く場所があって、日本でいうと児童館みたいな感じなんですけれど、そこで遊んでいる子どもたちの中からオーディションしたんです。
食べるのが大好きな子で、まだ夕食の時間になっていないのに「ヒシゲーさん(バトヒシグさんのこと)、食べ物ある?」っていつも言うんですよ。撮影用以外にもアメとかクッキーとか食べ物を用意しているのが、わかっちゃっているんです(笑)。
映画の撮影というより、楽しい場所に遊びに来たみたいな感覚で、のびのびとやってくれたのが、よかったですね。本当に普通の子どもが、ありのまま、そこにいたっていう感じで。頭の中はアメとクッキーでいっぱいなんだけど(笑)、台詞覚えがよくて、自然に出てくるんです。その能力にびっくりしました。
彼はこの映画で自信をもったみたいです。勉強しないと将来、俳優になれないからって目標ができたて、それまでは遊ぶことしか考えていなかったけど、別のステップに行ったとお母さんが話してくれました」
ガンチメグさんも、こう言います。
「子どもたちとは撮影に入る前の2週間、リハーサルしました。うまくできなくて変更した場面は、ほとんどなかったですね。子どもたち、本当にすばらしかったです。演技ではない、本物の笑顔ですから。かわいいですよね。
ひとつだけ心配なことがあるとすれば、ゲルの中の寒さが、観てくださった方に伝わっているか、ですね。本当に寒い中、がんばって撮影しました(笑)」
それについてバトヒシグさんは、
「それは監督の指示なんです。モンゴルの冬は寒いですから、撮影現場は温めていましたが、ウルジーの家庭は、お金がないから燃料も足りなくて、寒いんですね。子どもたちを実際の環境に置いて撮影したいからということで、ゲルの中はとても寒かったんです」
貧困層の子どもたちが置かれた環境を、身近な描写で描いた本作。カンヌ映画祭で上映されたことから、外国に住むモンゴル人から、「今もこんな生活をしている人たちがいるの?」と聞かれることもあったそうです。
他にも描かれている社会問題が、ウランバートルの大気汚染。映画の中にも、もやが立ち込めるように、上空がけむっている街が映されています。それについてバトヒシグさんは、
「大気汚染が酷くなっている原因は、貧困にあるというのが監督の伝えたいメッセージなんです。ウルジーも、暖炉で燃やすものがなくなって、ついにはタイヤを拾ってきて燃やしますよね。
街中でデモをしている人たちが出てきますが、あれは、そうやってタイヤを燃やしたりするから、大気が汚れるんだ、ということを訴えているデモなんです。
でも、それは「ゲル集落」(ウランバートル郊外のゲルが並ぶ地域)の人が悪いわけではないですよね。ウルジーのような環境にいる人たちは、そうせざるを得ない。悪いのは貧困、そして教育を受けられない現状なんです。
一時の政府の対策では、貧困も、それが原因となるアルコール依存も失業者もなくならない。子どもたちが高い教育を受けられたら、今の国の状況はよくなっていくわけで、ウルジーが物理好きの少年というところにも、そんな思いが込められています。
ウルジーのような貧困層の人だけの問題ではなく、そうさせている社会の問題なんだというのが監督の言いたいことなんです」
監督が、この映画で伝えたいこと。もうひとつ、お母さんが歌う歌にも、そんな強い思いが込められています。
「モンゴル人は母親に恩返しをするという考えが強いんです。それをこのお母さんはウルジーに求めているんですね。
映画の中でお母さんが歌っているのは、そういう歌。でも、そういう伝統的な考え方で恩返しを求めるより、目の前の自分の子どもたちのことを考えて、ちゃんと働いてっていうのが監督の言いたいことなんです。
自分の辛さからアルコールに逃げるお母さんに、ちゃんと自分の生活に向き合いなさいって」
オランチメグさんも、こう言います。
「この映画のお母さんはウルジーに辛く当たりますよね。私自身、子どもがいますが、ここまでキツイ言い方はしない。でも監督があのぐらいキツくやってほしいと。それはとてもおっしゃっていました。
この母親役にはモンゴルのよくない一面、子どもに対して権限を持ちながら、だらしない生活をしていたり、お酒ばかり飲んでいたり、自分勝手な行動している大人たちを描いているのではないかなと思いました」
たしかにウルジーの学校の先生も、ある過去を持っていたり、母親や先生、本来信頼を置くべき対象が危ういところも、ウルジーの切迫した境遇を伝えます。折れそうな環境で必死に立とうとする彼の日々を、映画は見守ります。
モンゴルでは革新的だった撮影現場
ところで、今回の映画は、モンゴルの映画業界で革新的な撮影現場だったそうです。
「監督って現場で怖いイメージがあるじゃないですか。でも、彼女はそうじゃない。やさしいんです。モンゴルの映画業界でも、スタッフやキャストに人間的に接するべきだと、それを導入したんです。
どこの国でもそうだと思いますが、夜遅くまで撮影せざるを得ないことがありますよね。それもしないことにして。人間は休むべき時に、ちゃんと休むべきだという考え方なんです。
それは私もサポートしています。というのも、監督も日本の桜美林大学の映像専攻を卒業していて、私もNHKの番組のコーディネーターをやっていましたから、日本で学んだことをモンゴルに持ち帰ったんです。
ちゃんと寝る、食事とる、時間どおりに計画立ててやる。それを二人でやったので、うまくスタッフの体制ができたと思います」
「モンゴルの撮影現場は、夜中ずっと撮影したりするんですよ。それが当たり前になっているので、今回のスタッフからは『撮影がきちんと8時に終わるなんて、すごくうれしい』ってよく言われました。
業界自体が人材不足なので、夜8時にこの映画の現場が終わって、そこから別の撮影に行って、掛け持ちで朝まで仕事してくるスタッフもいたんです。でも、監督は「そんな働き方をしていたら、よくないから」って。
監督が「毎日の現場のごはんに、必ずお野菜を入れてね」って言うんです。この映画は本当にお金がなかったのですが、それでも必ず野菜を入れて、健康的なごはんにしてほしいって。朝ごはんも出していました。監督が「お金がなくても、必ず出して」って。
本当に予算がギリギリで、翌朝の朝ごはんを買うお金もないぐらいだったんです。でも、朝になると監督が「ヒシゲーさん(バトヒシグさんの愛称)、お金が入ったよ」って。子どもたちにもスタッフにもわからないように、私が走っていって朝ごはんを買ってきて渡していました。それは、日本の働き方を学んでいるからこそ、私と監督が共通認識として持っていたことなんです。
日本にいたことで学んだことがたくさんあるんですよ。きちんと計画を立てて、俳優やスタッフの拘束時間を管理して、その通りに撮影を進めるとか、人を待たせないとか、気持ちよく仕事するためのいろいろな心遣いですよね。トイレも自分たちで掃除していました。お茶も出したりね(笑)。
ある時は、アレルギーの薬を忘れて、困っていたスタッフのために薬を買ってきたこともありました。すごく高かったけれど(笑)。監督が、いいから渡してって。手渡したら、ぱっと顔が明るくなったんです。
それは照明スタッフの男性なんですけれど、最後の方、黄色い壁の廊下にウルジーがいて、電話をかけている場面があるんです。外から光が差し込んでいるんだけど、すばらしい場面になって。いい仕事してくれたなと思いました。
映画業界の人からは、そんなこと、プロデューサーがするの?って驚かれましたが、一緒にやったスタッフからは、人間的な現場で、やさしくしてもらって、これからも映画の仕事を続けていく勇気をもらったと言われました。
この映画がカンヌに行って注目されたことで、そういう人間的な働き方が、モンゴルの撮影現場にも広がればいいなと思います」
もうひとつ、バトヒシグさんが監督のやり方に特に感心したことがあったそうです。
「一度だけ、さっきの照明さんと撮影監督がぶつかったんです。私が走って止めに行こうとしたら、監督が私を止めて、こう言ったんですよ。
「ヒシゲーさん、こういう場面も必要だよ。照明さんは照明さんで俳優をよく映したい。カメラマンさんにはカメラマンさんの映したい画がある。だから、彼らに考える時間を与えるのも大切な場面だよ」って。
それで、お茶を持ってきて、その場を離れたんです。「ゆっくり衝突してね」って(笑)。あれは素敵だなと思いました」
ぶつかることを避けがちな今の日本ですが、たしかに大事なお話です。「誰からも文句が出ないし、スタッフも喜んで働いてくれる。いいチームにできたことが、いい作品につながったと思います」という今回の作品。人間らしい働き方の現場。今日的な、大切な考え方だと思いました。
最後に、バトヒシグさんはコーディネーターとして話題のドラマ『VIVANT』にも関わっていたそう。モンゴルが舞台の映画は、今後も増えていくはず。そんなモンゴルでの映画の撮影事情について、最後に聞いてみました。
「自然が美しいし、モンゴル人はフレンドリーだし、撮影してはいけない場所の規制もそんなに厳しくない。撮影現場の許可については、今、政府がフィルム・コミッションを作って推進していて、積極的に映画やドラマの撮影を誘致しようとしているんです。
カンヌでも、モンゴルは撮影しやすい、そういう可能性がある国だね、と言われました。『VIVANT』もそのモデルになってくれたと思います。200人同時に動いて、私もその中でコーディネーターとしていましたが、あの砂漠の場面も本物の自然ですから迫力が違う。これから、もっとモンゴルで撮影される映画やドラマが広がるのではないかと思います」
そんな楽しみなこれからも聞かれたところで、取材はお開きに。ガンチメグさんは大学で演技の勉強をしながらも、これまでナレーションの仕事しか来なかったそうで「この映画に縁があって、カンヌにも行けて、こうして日本にも来られました」と感無量の様子でした。
そんなガンチメグさんのことを「低予算の映画だし、アルコール依存のお母さんで、この役は断る俳優さんも多かった。ガンチメグさんの勇気に本当に感謝しています」とバトヒシグさん。
『冬眠さえれきれば』、日本で公開が決まることを願っています。
東京フィルメックス 公式サイト:https://filmex.jp
(文:多賀谷浩子)