3月23日に岩波ホールで公開された映画『こどもしょくどう』。先週末4月6日(土)からはヒューマントラストシネマ有楽町他に上映館を移し、公開規模を広げて上映されています。作品のこと、映画の撮影が行われた両国・あづま家さんで、日向寺太郎監督に伺いました。
『こどもしょどう』ができるまで
―まず、企画の成り立ちから伺えますか?
2015年の初夏にプロデューサーの鈴木ワタルさんから、子ども食堂のことを映画にしないかとご提案いただいたんです。ちょうどマスコミで報道され始めた頃でした。最初、ドキュメンタリーの企画かと思ったんですよ。でも、それだと難しいと思ったんです。
―難しいというのは?
子どもの内面まで入らないと、深い作品にならないと思ったんです。子ども食堂を作った人の視点から見ていくことはできると思うのですが、子どもの視点から見ないと、問題の根本は見えてこないと思ったんですね。そうしたら、鈴木さんが「劇映画でやりましょう」と提案してくださって。それなら、面白いんじゃないかと思ったんです。
―作品を拝見するまでは、子ども食堂が舞台のお話かと思っていました。拝見したら、子ども食堂ができるまでの話になっていて、そこがいいなと思いました。
先程のドキュメンタリーの話ともリンクするのですが、子ども食堂ができてからの話にすると、どうしてもそこを作った大人目線の話になってしまうと思ったんです。だから、子どもの目線で描くのがいいだろうと。そこに、子ども食堂が必要とされる社会の問題の根っこがあると思うので。
―物語を考える前に、最初に子ども食堂を作った近藤博子さんにお話を聞きにいらっしゃったそうですね。
そうなんです。近藤さんが「給食以外に、1日にバナナ1本しか食べていない子どもが近くの小学校にいて、それをなんとかしてあげなきゃという気持ちで始めた」と。その気持ちを描きたいと思いました。結果的に、子どもの視点から見た、子ども食堂ができるまでの話にしようと思ったんです。
―今回、脚本は足立紳さんです。
『百円の恋』の台本を読んでいたので、これは足立さんがいいと思ったんです。弱い部分やだらしない部分も含め、人間を魅力的に描ける方なので。それで、2015年の10月に脚本の打ち合わせが始まりました。
―映画を拝見しながら、『フローズン・リバー』(08)というアメリカ映画を思い出しました。過酷な状況におかれた少女が主人公なのですが、彼女をかわいそうに描いていないところがいいんです。この映画にも同じことを感じました。同情を買うような描き方ではなくて、鈴木梨央さん演じるミチルが強く生きようとする姿が描かれていますよね。
この映画も、そう描きたいと思いました。ミチルはお姉さんだし、もともとの性格もあるんでしょう、気丈に振る舞わざるを得ない。だけど、雨の中のシーンで、耐えられなくなってしまうんです。
―丁寧に状況を重ねて、親から見放されたミチルが、妹と二人、段々と追い込まれていくところが胸に迫ります。
それは足立さんの力ですね。大きな流れは話し合いましたけど、あとは足立さんですから。細かいところをプロデューサーや僕がお伝えしたぐらいで。
―流れの説得力があって、引き込まれました。
足立さんがすごいのは、粘り強い方で、結果的に十何稿書いているんです。脚本は有機体なので、1箇所直すと、他も直さないとほころびができてしまう。そういう作業を繰り返して、十何稿なんですけど、びっくりするのは書き直す度によくなっていくんです。
―それは、すごいですね。
いろいろな脚本家の方がいらっしゃるから一概に言えないですけれど、やはり、思いが最初に形になった第1稿がいちばん良くて、直す度に後退してしまうことも少なくないんです。でも、足立さんは一度も後退しないんですよ。決定稿がいちばんよかったです。第1稿もよかったですが、推敲するたびによくなるんです。
―どうして、そんなことができるんでしょう。
足立さんは下積みが長いので、映画1本できるのがどんなに大変か、身をもってご存じなんじゃないでしょうか。映画がよくなるためなら、何でもしようという方で、自分が納得できる内容ならば、労を惜しまない方でした。結局、2017年9月末にクランクインしましたから、脚本ができあがるまでに、だいたい2年かかっているんです。今回、初めてご一緒したのですが、いい出会いでした。
次回は、いきいきと自然な子どもたちの演技のひみつから、お話を伺いたいと思います。お楽しみに!
ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。