#720 『リル・バック ストリートから世界へ』 ルイウォレカン監督インタビュー

前回からお届けしている『リル・バック ストリートから世界へ』ですが、リル・バックの「これまで」を語る際に欠かせないのが、彼が10代を過ごしたテネシー州・メンフィスの話。

彼のダンスのベースになっているのは“ジェーキン”。メンフィス発祥といわれるストリート・ダンスですから、もちろん彼を語るうえで大切な街なのですが、それにしても、この映画は85分間のうち、ほぼ半分を割いてメンフィスを語る。それだけ、映画にとっても、リル・バックにとっても、大切な「土壌」なのです。

そんなメンフィスを語る前半の中で、象徴的に出てくるのが「クリスタル・パレス」という街のローラースケート場。

クリスタル・パレス

皆さんの育った街にも、その土地のティーンエイジャーが集まる、ボーリング場とか、卓球場とか、ありませんでしたか?「クリスタル・パレス」という素敵な名前がついていながら、どこか場末感ただよう、ちょっと懐かしいこの感じ……。

毎週土曜日の夜9時になると、ここがダンス・フロアと化すそうで、リル・バックと仲間たちのダンスも、ここで戯れ、なじみ、徐々に進化を遂げていったといいます。何かのためでなく、彼らがただ楽しくて、このダンスかっこいい!と魅了されながら、踊り続けている様子がいい。

この映画を手掛けたルイ・ウォレカン監督は、こう云います。「いまや、リルは世界的に活躍しているダンサーだけれど、そんな彼が実はこんな小さなコミュニティから出てきている、という対比を見せたくて。

最初はひとり裏庭で踊っていたリルが、そのうち仲間とクリスタル・パレスで踊るようになっていく……。裏ぶれたと云っては何だけど、観光客もやってこない小さな街から、彼のような才能が現れて、今となっては世界的なアーティストとコラボしている。そんな旅路を見せたかったんです」

クリスタル・パレスで踊るリルと仲間たち

そして、メンフィスについて衝撃的なのが、仲間の話。遠く日本に住んでいると、メンフィスって「ブルース発祥の地のひとつ」とか、エルヴィス・プレスリーが思い浮かんだり、音楽の街みたいなイメージがありますが、

リルの仲間のひとりが何気なく話していたのは「隣で遊んでいた仲間が命を落としてもおかしくないぐらい街が荒れていた」という話。のびやかで、すこやかなリル・バックのダンスは、そんなタフな街から生まれているのです。

「彼らが自分たちの見てきたメンフィスを、明暗どちらも正直に語ってくれたおかげで、僕らも街のそういう顔を知ることができた。彼らは、撮影中も、僕らクルーが危ない地域に行かないように守ってくれました。

彼らを見ていて思うのは、教育の大切さ。そして他者へのリスペクト。そして何より自分へのリスペクト。彼らはダンスという「大好きなもの」を得たことで、自分自身を認めていけた。それによって、メンフィスのコミュニティの中でお互いを支え合いながら、皆で成長していけたんです。

やっぱり、自己を確立していくのに欠かせないひとつの要素がアート。彼らはダンスに夢中になって、その技術を磨いていくことで、今自分たちがいる世界とは別の人生があると知ることができたし、自分で自分の人生を拓いていけたわけです。

言い換えれば、教育とコミュニティとアートが、メンフィスという街で育った彼らを伸ばした核になっていて、だからこそ街が荒廃していても、それに負けることなく、内に眠る才能を開花させていけたんだと思います」

監督の云うコミュニティという言葉からは、リルがバレエをやってみたいと言った時に、経済的な状況でストップさせることなく「ニュー・バレエ・アンサンブル」に彼を行かせたお母さんや、その夢を途絶えさせることなく、奨学生として彼を受け容れた「ニュー・バレエ・アンサンブル」の先生たち……この映画に出てきたメンフィスの大人たちの顔が思い浮かびます。

日本の10代が置かれた環境も、難しいところがいろいろありますが、この映画がひとつのヒントになるような気がしてくる『リル・バック ストリートから世界へ』。

次回は、この映画のちょっと特殊なドキュメンタリー・スタイルについて。そして監督が愛情たっぷりに話してくれたリル・バックの話をお届けします。

取材・文:多賀谷浩子

2021年8月20日から上映中 公式サイト:http://moviola.jp/LILBUC/