#725 第34回東京国際映画祭を振り返る ~女性たちは、海の夢を見る~

 

2021年の映画を振り返った時、触れておきたいのが今年の東京国際映画祭です。

プログラム・ディレクターが市山尚三さんに交代し、「特別招待」部門に代わって「ガラ・セレクション」が新設されるなど、抜本的な改革が行われました。

市山さんは昨年まで東京フィルメックスのディレクターを務めていましたが、フィルメックス自体が、日本でも世界の三大映画祭のような本来の映画祭の機能を発揮できる映画祭を、ということで始まった映画祭。

そんな市山さんがディレクターに就任したことで、コンペティション部門の15作品も、映画祭として見応えのあるものに(これまではコンペの中に、方向性の異なる配給作品が混ざり、国際映画祭としては、ちょっと不思議なラインナップになっていました)。

その中でも印象的なのが、男性優位の社会の中で闘う女性を描いた作品が目立ったことです。

カルトリナ・クラスニチ監督

例えば、「コンペティション」部門の最高賞「東京グランプリ」に輝いたのは、東欧コソボの女性、カルトリナ・クラスニチ監督の初長編監督作『ヴェラは海の夢を見る』。

そして、審査員特別賞を受賞した『市民』も、ルーマニアの女性、テオドラ・アナ・ミハイ監督の作品。ベルギーの名匠ダルデンヌ兄弟がプロデュースしているのですが、こちらも行方不明になった娘を探して、女性がひとり闘う物語。

さらには最優秀女優賞を受賞した『もうひとりのトム』もロドリゴ・プラ監督との共同監督ではありますが、やはり女性であるラウラ・サントゥージ監督の作品。ADHDの息子を持つ母親を描いた作品です。

テオドラ・アナ・ミハイ監督

コンペ以外の部門においても、男性社会の中で葛藤し、困難を打ち破ろうとする女性を描いた作品が印象に残り、ジェンダーについての価値観が急速に変わりゆく今の流れを感じました。

もちろん、これまでも女性の置かれた境遇を描いた映画は作られているのですが、“Me,too”に端を発する近年の流れの中で、それに触発され、自身の身近にある問題を映画にした監督が増えたということなのではないでしょうか。

グランプリの『ヴェラは海の夢を見る』。クラスニチ監督のご自宅とつないでのQ&A(こちらで視聴可能です)によれば、監督が本作の原作に惹かれたのは「まず、この年齢の女性が主人公になる映画は珍しいということ」だったそうです。主人公はヴェラ。こちらの女性です。

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「ヴェラは独立した、自分のことをよくわかっていて、人生の行く先もしっかり見据えている強い女性。しかしながら、(判事として社会的地位のあった)夫が自殺したことで、そんな強さが揺らいでしまう。そういう女性を描いてみたいと思いました」

主人公ヴェラは、夫の知られざる秘密を知り、家父長制の社会の壁に直面します。劇中に土地の権利をめぐる問題が出てきますが、ヴェラから思い起こすのは、監督自身のお母さんなのだそうです。

「私の母も80年代に父と離婚して、土地の権利をめぐって4年もの間、裁判で争いました。でも、負けてしまったんです。

今回の原作に触れて、現在のコソボにおいても、私の母のように、世の中の隅に追いやられた女性たちの置かれた環境は変っていないのではないかと思いました。

コソボに限らず、これは社会の隅に置かれた女性たちの普遍的な物語なのだと思います。この映画の上映でいろいろな国に赴きましたが、その度に『これは私の物語だ』と言う女性たちに出会いました」

そして、タイトルにもあるとおり、映画の大切な要素である「海」について、監督はこう語ります。

「ヴェラというのはアルバニア語で夏という意味なのです。最初にこの映画の脚本をもらった時、頭の中に浮かんだのがSummer dream of the sea という言葉でした。夏という名前のヴェラが夢を見る。コソボは海のない国。だからこそ、海への憧れがあるのです。

そして、海は平和や静けさ、希望の象徴でもあります。夫の自殺によって、それまでの彼女の希望が失われ、窒息する程の波が彼女を襲います。けれど彼女は、そこから再生しようと闘う。だからこそ最後は、彼女が微笑みを浮かべる海のシーンにしたのです」

ラストシーンが海で終わる……といえば、思い出されるのが「ワールド・フォーカス」部門で上映された『ムリナ』です。マーティン・スコセッシが製作総指揮に名を連ねる作品ですが、こちらも家父長制の象徴のような父親のもとで暮らす17歳の少女を描いた作品でした。

『ムリナ』

『ヴェラは海の夢を見る』にも母と娘の対立関係が描かれ、それが映画の中で大事な役割を果たしますが、『ムリナ』の母と娘も、なかなかヒリヒリとした関係。

男性優位の社会に疑問を抱きつつも、一番そばにいる女性である母親は、その解決の味方にはなってくれそうにない……そんな状況にヒロイン・ユリアは置かれています。周りに頼りになる誰かがいるわけでもありません。

いつも水着姿でいるユリアは、どうしたって女であることを感じさせます。母親の恋人も登場し、17歳という微妙な時期に差し掛かる彼女の心の内……息の詰まるような境遇に置かれながらも、彼女はそれに負けない。自ら、海へと泳ぎ出す――。力強いラストシーンが印象的です。

ここに挙げた、いずれの作品も、それぞれ置かれた状況は異なりますが、どんな状況下におかれても、甘えることなく、自ら立ち上がろうとする――

女性監督の描く女性像が毅然として、パワフルでしたが、そんな独立した女性像を描いた監督が、日本にも半世紀以上も前に存在したことをご存じですか。

田中絹代監督(写真提供:芸游会)

日本の女性監督の草分け的存在、田中絹代についてのトーク・イベントも、映画祭期間中に開催されました(こちらで視聴可能です)。

第1部と第2部に分かれているイベントでしたが、一部に登壇したのが、カンヌ映画祭代表補佐兼映画部門ディレクターのクリスチャン・ジュンヌさん。

まず、今年の東京国際映画祭で、田中絹代作品が上映されるに至った理由。そこには近年のヨーロッパでの彼女の作品の再発見があったのだそうです。

「パリのカルロッタ・フィルムというクラシック映画のデジタル修復を精力的に行っている配給会社が取り上げたほか、ロカルノ映画祭も昨年、田中絹代監督の特集を予定していました。残念ながら、コロナ禍で中止になりましたが、

今年のカンヌ映画祭の『カンヌ・クラシック』部門(クラシック映画を修復して上映する部門)でも上映され、さらにはリヨンのルミエール映画祭で全6本が上映され、すべて満席で大成功となりました。

そこでの成功をもとにフランス各地で6本が劇場公開されることが決まりました。きっと成功すると思います。マスコミも非常に取り上げていますから」

今から半世紀以上も前に撮られた作品が、こうして改めて注目される。映画祭の大事な役割を再認識させられます。そして田中絹代作品の印象については、

「女優さんとして多くの作品に出演しているのを観てきましたが、彼女が監督をしていることは知りませんでした。しかも50~60年代の女性監督が少ない時代に6本の作品を残している。テーマも現代的で、非常に衝撃を受けました。

女性の問題を女性の視点で取り上げていて、独立した女性像を描いている。特に私が衝撃を受けたのは1955年の『乳房よ永遠なれ』です。この時代に乳がんについて描いた映画は、世界を見ても他になかったのではないかと。強い女性像が描かれていることも含め、女性の監督ならではの作品だと思います。

また、芸術的に美しいのも彼女の映画の美点です。たびたび描かれるのが、主人公が道を歩いて去って行く場面や、こちらに向かって歩いてくる場面です。沈黙の瞬間が美しく描かれている。それが自然なんです。

彼女の最後の作品、1962年の『お吟さま』はカラー映画で松竹が修復していますが、単なるカラーではなく、色彩が言語になっている。青を美しく使っていますが、言語として色を用いているのです。

私が強く思うのは、なぜこれまで評論家や映画史研究家が、もっと田中監督の映画を取り上げてこなかったのかということ。6本の作品が日本の劇場でも掛けられることを切に願っています」

それについては、第2部に登壇された国立映画アーカイヴ主任研究員の冨田美香さんも言及していましたが、国立フィルムセンターが刊行する『FC』の第1号で監督・女優としての田中絹代を特集しているほか、

2009年には生誕100年を記念して、女優としてのほぼ全作品と監督作6本が上映されており、その後も、東京国際映画祭の関連企画のひとつ、女性映画祭でも田中絹代作品が上映されています。

今、観ても、映画としても、描かれる女性像としても、色あせないものがあります。近年の再評価を機に、日本でも目にできる機会が増えることを期待したいと思います。

東京国際映画祭 公式サイト:https://2021.tiff-jp.net/ja/