14日から開催中のSKIPシティDシネマ映画祭。今年で成人式を迎える、20回目の映画祭です。
幕開けがちょうど3連休ということもあり、盛況だった17日、海の日。会場を取材してきました。
というのも、この日、国内コンペティション部門の「短編①」の上映があったからです。
なぜ、「短編①」に気になったか。それは4本の上映作品のテーマが、いずれも現代的なものだったから。
こちらの映画祭は、「新人監督の登竜門」になっていて、前回の記者会見の模様でご紹介した藤田直哉監督がそうですが、短編部門で認められたことをきっかけに活動を広げていく監督も少なくないのです。
では、「短編①」で上映される4本の作品を順番に見ていきましょう。まず最初は『恵子さんと私』。
舞台は、感染症が蔓延して、母と子が直接、接触することが難しくなった世界。母親の代わりに育児をするのは、ヒト型AIの「恵子さん」。上の写真は、充電中の様子です。
長年、母親代わりを務めてきた恵子さんですが、徐々にシステム・エラーが起きはじめます。それを役者さんの演技で表すミニマムな演出も面白いのですが、恵子さんに育てられてきた中学生の娘・愛理に、お母さんは恵子さんのバージョンアップを勧めます。
けれど、バージョンアップすれば、ずっと一緒に暮らしてきた恵子さんは、今までの恵子さんではなくなってしまう。恵子さんが大好きな愛理は、断固、拒否するのですが――。
近未来の設定で、母と子のコミュニケーション・ツールがVFXで描かれているところも、映画祭で上映される短編映画としては画期的。監督の山本裕里子さんは、こちらが初監督作品だそうですが、1970年代生まれの監督で、今の年齢だからこそ描ける、母と娘の関係の微妙なところが、娘を主人公にしつつ、母親視点からも描かれていて、「若手映画の登竜門」といわれるこちらの映画祭ですが、こうして様々な年代の監督が、自身の視点から映画を撮ることの大切さを感じます。
2作目は『野ざらされる人生へ』。先の恵子さんは、感染症の蔓延した時代、そしてAIと、まさに今の私たちにおぼえのあるテーマでしたが、こちらもそう。恋愛しない人が増えているといわれる今、年の頃は30歳ぐらいかな? という男性主人公が登場します。
今日も散らかった部屋でひとり、SNSで誰かを悪く言っては、日々をやり過ごしている、そんな彼が、ある朝起きたら――。なんと別人になっていたのです。鏡を見ながら、「なんだか……中の中だな」と新たな自分にツッコミを入れつつ、彼女を作ろうと外に出て行く主人公。歩道橋で声をかけてみたり、バーでそわそわしたり、あれこれ試行錯誤した末に行き着く先は――?
「朝起きたら別人に」というのは、決して珍しい展開ではありませんが、その周辺に「SNS社会」や「女の人のあり方」など、今の社会のあるあるが散りばめられ、観客の共感を呼びながら進んでいく作風は、監督の永里健太朗さんが舞台の作・演出も手掛けると聞いて納得。変身後の主人公を演じたジョニー高山さん(写真・)は、「中の中」という自身の台詞を聞いて、ビミョーな気持ちになったそうです。
そして、3作目は『ア・ニュ ありのままに』。高校生たちのホワイトデーにまつわる物語なのですが、映画祭の上映作品としては珍しいオールCG作品。大学の映像学部に通っていた古賀啓靖さんが、卒業製作と平行して、大学生活の最後の2年間をかけて、ひとりで完成させた作品です。
今回、使われているのはBlenderという3D CGソフトだそうで、大学生活と平行しながら、ひとりでCG作品を仕上げることの大変さを思うと、その情熱がうかがえます。写真は「笑ってください」に答えてのポーズ。
そして、『ミミック』。
こちらはホームレスの男性が主人公。宝くじで大金が当たった彼は、カプセルホテル暮らしからアパートを借りるお金も、遊ぶお金も手に入れ、新たな生活を始めるのですが――。
お金があれば、再生できるのか。広い部屋があれば、再生できるのか。
その人が満たされて暮らしていくために、本当に必要なものは何なのか、観ながら一緒に考えさせられるところが興味深い。
まじめに働いてきた人が、何らかの事情で、生活に困ってしまうことが実際起こりうる今の世の中。まさに今の社会の断片をいて、考えさせられます。
監督の高濱章裕さんは配給会社勤務の傍ら、自主映画を制作しているそうで、こちらが初監督作。主演の沖田裕樹さんは、はじめホームレス役と聞いて、複雑な心境だったところ、次の作品もホームレス役で、「なんだかな……」と思ったそうです。
映画祭の上映作品に選ばれるというのは、それだけでもすごいこと。そんな気持ちを共有してか、映画上映後も、お客さんが囲み、しばらく熱気が治まらなかった17日の上映。21(金)にも2回目の上映があり、22日から4日間はオンラインでも視聴可能なので、注目してみてください。