#696 第31回東京国際映画祭リポート vol.2

 

今回も、前回に引き続き、10月に開催された東京国際映画祭のリポートをお届けしたいと思います。

例年、こちらのコーナーでは、その年の東京国際映画祭で気になった1作品に焦点を当て、監督にお話を伺ってきましたが、今年の1本は「アジアの未来」部門で上映された『はじめての別れ』。

中国の新疆ウィグル自治区を舞台にした作品ですが、映像で物語る力が強く、何より主人公の子どもたちが鮮やかでいきいきしている。このインタビューの後、「アジアの未来」部門の「作品賞」の受賞も決まりました。

監督は、1987年生まれのリナ・ワンさん。なぜ、この映画を撮りたいと思ったのか、子どもたちの自然な演技はどう撮影されたのか、そして監督が映画作りに大事にしていることはーー? たっぷりと伺いました。

リナ・ワン監督

映画の舞台は、新疆ウィグル自治区のシャーヤ(ウィグル語で花園という意味だそうです)。実は、ここ、監督の故郷なのです。

「私の父はよそからシャーヤにやってきて、カメラマンをやっていました。ウィグル族の皆さんの写真を撮っていたのです。幼い頃の私は、いつも父の自転車の後ろに乗って、村から村へ巡回して皆さんの写真を撮って回っていました。出会った人が皆やさしくて、親切で、美しかった。それを映画にして届けたかったのです」

ということで、映画作りがスタート。まずは半年間かけて現地を調査。そこで、主人公の子どもたちに出会ったそうです。中でも印象的なのが、ウィグル族の女の子・カリビヌール。話す言葉も、くるくる変わる表情も、映画を観ていると、彼女に釘付けになってしまいます。

「カリビヌールと出会ったのは、倒壊寸前の古い家の前でした。彼女が赤いスカートをはいて踊っていたのです。なんて素敵なのだろうと心を奪われました。私には森の中の妖精のように思えたのです。私は映画のことをすっかり忘れて、素で彼女に話しかけました。彼女も私にそうしてくれました。彼女は私を監督ではなく「お母さん」と呼びます。彼女のお母さんが私は同じ年なのです。監督としてプレッシャーをかけず、本物の親子のようになれたことで、自由な表情を見せてくれたのかなと思います」

撮影現場では「アクション!」や「カット!」といった声をかけることもなく、カメラも回したままで、スクリプター(記録係)も付けなかったそう。飽くまでも普段の生活の延長上で撮影したことが、子どもたちの自然な演技を引き出すことになったようです。子どもたちの話す言葉が鮮やかで、本当にいいのです。会話を聞いていると、楽しい気持ちになります。

「この映画に出てくださったのは、皆さん、素人の方なのです。だから、子どもたちにも『このシーンは、こういう状況で、こういうことが起こります』と伝えて、そこで話す簡単な言葉だけを伝えました。私が『こういうことを言ってほしい』という台詞もあるのですが、子どもたちは本能でやっていますから、私が想像もしなかったようなことを言うんです。それがよかったなと思います」

 

『はじめての別れ』より

 

映画ができあがるまで

 

先程、キャスティングに半年かけたというお話を伺いましたが、この映画、長い時間をかけて作られています。

「まず、半年の現地調査を経て、1年間、ドキュメンタリーとして現地の暮らしを撮影しました。その後、ストーリーを考えながら、2年の月日をかけて、子どもたちの外側と内側、両方の成長を記録していきました。季節ごとに撮影していましたから、相当な量のフッテージ(撮影した映像)でしたね。子どもたちの撮影はワンカットを何度も回して、その中からいい表情をピックアップする方法を採りました」

この映画には、先程のカリビヌールの他に、ひとりでは生活できないお母さんの面倒を見ながら暮らしているムスリムのアイサという少年が出てきます。映画のストーリーは、どんな風に、できあがっていったのでしょうか。

「先程もお話しましたが、今回出演してくれたのは、地元の素人の人たちなので、アイサは本当にああいう環境で、お母さんの面倒を見ながら暮らしていますし、カリビヌールもそうなのです。彼らは俳優ではないので、本能で動いてくれるのですね。その本能のまま、彼らを1年間、ドキュメンタリーとして撮影する中で、今回のようなストーリーになっていきました」

ストーリーの要として描かれるのが、ウィグル族のカリビヌールが抱える悩み。ウィグル語の成績は良いのですが、中国語が成績が良くない。中国語ができないと、将来、良い仕事に就くことが難しいということで、彼女の両親は悩みます。

「今、多くのウィグル族の家庭は、カリビヌールと同じ悩みを持っています。将来を考え、子どもたちを大きな都市に行かせて、勉強させたいと思っているのです。そういう状況も、物語の中に織り込みました」

映画の中で面白いのが、カリビヌールが自分の中国語のテストの点数を話す場面。20.5点というから、なかなかしょっぱい点数です。ところで、この「.5点」って何なのでしょう。

「テストの点数が0.5点区切りなんですよ。今朝もカリビヌールから電話が掛かってきて、泣きながら「お母さん、テストの成績がビリでした~」って言うのです。「そう?でも、ビリも後ろから数えれば1番よ」と言ったら、安心したのか「お腹空いたー、ごはん食べるね!」って電話を切りました(笑)。本当に天真爛漫な子なんですよ」。

そんな子どもたちは、映画のラスト、タイトルどおり「はじめての別れ」を経験することになります。ここで、ある男の子が手紙を読んで汽車の話をする場面があるのですが、このシーンがとても印象的なのです。

「この映画には、私の子どもの頃を描いている部分もあって、アイサは汽車を知りませんが、私が幼い頃もまだ汽車はなかったんですよ。砂漠が広がっていて、木の上に登って、風が木々を揺する音を聴くような、そんな暮らしでした。

今回、撮影中にアイサとアイサのお父さん・お兄さんと話していたら、アイサは汽車を見たことがないのですが、お父さんは一度だけ乗ったことがあると言うのですね。でも、その汽車には窓がなかったと言うんです。「乗る時ははしごを登って中に降りていくんだ、汽車はそういうものなんだ」と子どもに教えていて。

ということは、きっと貨物列車だったのかなと思うのです。でも、お父さんにとっては、それが汽車なんですよね。ところが、ある時、アイサのお兄さんが都会の学校に行くことになった。当然、汽車に乗りますよね。その時に乗った汽車には、窓もあるし、ドアから入ったと。つまり、私たちのよく知る汽車だったわけです。

この話を映画に取り入れたいと思ったのですが、無理に子どもたちの口から台詞として言わせるのは嫌だなと思いました。そこで、手紙として伝える形にしたのです。あの手紙は感動的で、こと細かに初めて汽車に乗った喜びを書いています。映画では子どもたちそれぞれの表情を映しながら、あの手紙のナレーションが流れます。ちょうど「はじめての別れ」を物語る時に、遠くに行くことの象徴として汽車を入れたらいいのではないかと思ったんです」

 

プロデューサーのチン・シャオユーさん(右)

 

リナさんが映画監督になるまで

 

リナ・ワン監督は、中国メディア大学のご出身ですが、今回、映画を撮ることになるまでの経緯を伺ってみると、

「メディア大学では、まずは報道を学びました。私はもともと人に興味があるのだと思います。だから、ラジオの番組を作る時も、詩的な言い方や伝え方で聴く人にリアルに届くような番組作りを心がけていました。そこから、人の心に届くには、想像力をかき立てる撮り方が大事だなと思うようになったのです。

その後、テレビ製作もやるようになって、さらに人への興味が深まりました。人間を撮りたいし、深めていきたなと思ったのです。今回も東京に来て、日本に来て20年になる中国人の方と出会ったのですが、その方とお話していたら、こんなことをおっしゃったんですよ。

その方は男性なのですが、日本人の奥様が長年、彼の右側で離れて寝ていて、それ以上、近づいてこないことに少し淋しさを感じていたそうなのです。でも、それはダンナさんの眠りを邪魔したくないという奥様の思いやりだったことが、最近になってわかったと言うんですね。

日々の暮らしのちょっとしたことですが、そういう話を聴くと、人って面白いなと思うのです。文化の違いもあるのでしょうけれど、人は皆違う。それが面白い。私が子どもの頃に感じたシャーヤの人たちの美しさも、そういうちょっとしたことが私の中で鮮やかに印象に残っていて、今も脈々と私の中に流れているんです」

影響を受けた映画監督はいるのでしょうか。

「ハンガリーのタル・ベーラ監督ですね。『ニーチェの馬』(2011)の。観客に多くを押しつけることなく、観客に考えさせてくれる。それは結末に関してもそうですが、私はそういう映画が好きなのです。これからも人と人の暮らしを撮っていきたい。人がいきいきと生きている様子をリアリティとストーリー性、その両面から描いていきたいなと思います」

『はじめての別れ』、撮影監督のリー・ヨンさんが撮った映像もすばらしく、アイサの思いを、夕焼けに滲む彼のシルエットで物語る場面など、美しい映像に魅了されます。日本で配給されるといいなと思いつつ、今後のリナ監督の作品にも注目していきたいと思います。

映画祭の公式サイト:https://2018.tiff-jp.net/ja/lineup/film/31ASF03